本日11月3日(火)は文化の日。早くから勉強をしに生徒がきています。定期テストはもちろん、入試も少しずつ近づいてきたので良い結果がでるよう頑張らせたいと思います。
さて、10月31日(土)に佐倉市にある国立歴史民俗博物館まで校外学習に行ってきました。数々の国宝級のお宝を目にすることができて、非常に勉強になりました。やはり単なる教科書知識の詰め込みとは異なり、歴史を肌で体感することは一番の勉強となりますね!
国立歴史民俗博物館は、京成佐倉駅から徒歩15分の場所にあります。(JR佐倉からも大差ありません)。
歴博は、江戸時代初めに土井利勝によって築かれ、幕末には老中堀田正睦が出た佐倉城跡地に建設されたそうです。
堀田正睦といえば、大老に就任した直弼によって罷免、隠居に追い込まれた一橋派の老中首座です。
こんな有名な人がこの地から輩出されていたとは!
明治時代からは、陸軍の連隊が置かれ、かの西南戦争や日露戦争などにも出兵されていたそうです。
今回の特別展示は、「大久保利通」。利通は、西郷隆盛と同じく薩摩藩出身。
「薩摩藩って今の何県にあたるか知ってる?」
薩摩藩は現鹿児島県。
「では鹿児島県って何地方に属するの?」
九州地方。
「では九州地方の県を全て挙げましょう!」
長崎、佐賀、福岡、大分、宮崎、熊本、鹿児島
「九州は7県すべて県庁所在地が県名と同じだから覚えやすいよね~」
などと話題を広げながら、いよいよ博物館内へ!
貴重な文書の数々に感動!!
(数々の展示品の写真をご紹介したいところですが、個人的な使用のみ認められているので、館内で撮った写真の掲示は控えます。)
受付を済ませた後、最初に訪れたのは特別展示である大久保利通ブース。
西郷隆盛(薩摩藩出身)、木戸孝允(長州藩、現山口県出身)と並んで「維新の三傑」の一人。
西郷隆盛は西南戦争で自害、桂小五郎こと木戸孝允は西南戦争中に病死。西郷と同郷の利通は、西南戦争後に暗殺されました。
生麦事件にも居合わせていた!!
入ってすぐに、桜田門外の変や、生麦事件に関する文書が展示されていました。
なんと、生麦事件が発生した現場に、利通も藩主島津久光に同行していたんですね。勉強不足でした、ウィキペディアの利通に追加記事を書こうかな(笑)。
まげ
誰しもが一度は目にしたであろう岩倉具視使節団ご一行の大きな写真もありました。他がみな洋服(スーツ)を着ているのに対し、公家出身の岩倉具視は着物に「ちょんまげ姿」。
岩倉使節団の面々。左から木戸孝允、山口尚芳、岩倉、伊藤博文、大久保利通。
写真はウィキペディアより。
足はみな靴を履いています。
なぜまげを貫き、そしてなぜ切ったの!?
新政府内で誰よりも早くまげを切った孝允。他4人がみな洋服(スーツ)と散切り頭であるのに対し、岩倉具視は「ちょんまげ姿」。公家出身の岩倉は、日本が安易に西洋化することを嫌がりました。
訪問先のサンフランシスコでは彼を写真を撮りたがるものは多く、人気があると当初は誤解していました。
ただし、実はそれは長年鎖国状態にあった異国の文化を目にした好奇の念だったのです。残念!!
アメリカ人から野蛮な姿と見下されていることを察した岩倉。
清の二の舞は避ける!!
アヘン戦争でイギリスに屈し、不平等である南京条約の締結に至った清。そして、その清を治めた満州族(女真族)が強要する「辮髪(べんぱつ)」は列強から見ると、レベルの低いものとしてとらえられたようです。
現代から考えると、大きなお世話ですね!
写真はウィキペディアより。
やがて岩倉具視は(後に訪れるシカゴから)こだわりのまげを落とし、散切り頭にしました。
散髪脱刀令が制定されたのちもまげを切ることがなかなか定着しなかった日本。
維新の十傑はもとより、その他の公家ひいては明治天皇がまげを切ることは、清のように列強に侵略されることなく、富国強兵を進めていく上で重要なことだったのでしょうね!
岩倉具視の断髪が伝わると、天皇に近い公家から徐々に断髪が進み、やがて明治天皇の断髪、結果、日本国内にまげ切りが広がりました。
まげを切った岩倉具視(ウィキペディアより)
実に壮観!品に満ちていらっしゃいますね。
利通ではなく、かつ特別展示にはないうんちくを長々書きました(苦笑)が、常設ブースも非常に見ごたえがあります!!
第一展示室は、原始古代
第二展示室は、中世
第三展示室は、近世
第四展示室は、民俗
第五展示室は、近代
第六展示室は、現代
について紹介されています。
打製石器から始まり、火縄銃の歴史や、宋銭、そして現代のおせち料理などの文化に至るまでさまざまなものが展示されています。藤原摂関家の大豪邸の復元なんかは、特に素晴らしいです!!
また、鎖国前に行われていた朱印船貿易で使われた「朱印状の現物」を見られたのは感動です!!
(写真はウィキペディアより)
江戸時代の学校寺子屋のようすが体験できる「こどもれきはく」ではボランティアの方のご協力をもとに、江戸時代の文字の書き方をためしたり、すごろくで遊んだりできたたので楽しみながら学べたようです。和算は日本人が誇るべき勉強の一つですね!
そして、和算といえば何と言っても関孝和。ニュートンやライプニッツよりも前に微積分の考えを用いたことは、何よりも誇りに思うべきことです。
寺子屋の前には地獄絵巻紙芝居が展示してありました。ヘッドホンをつけて、流れる唄を聴きながらおどろおどろしい絵巻が紙芝居のように捲れていくのですが、少し前に、横須賀の屈強な米兵が見て腰を抜かしたそうです(笑)。
戦争や飢餓などにより死が身近だった時代。当時の人々が見たものが地獄絵のベースとなっているのでしょうね。現代人にとっては少々刺激が強いのかもしれません。
三時間じっくり回りましたが、時間が足りませんでした。
「なぜこの倉庫は高床になっていると思う?」
「狩りや漁だけの生活が終わり、稲作が普及すると、やがて何が生じ始めると思う?」
「なぜ平氏は没落していったのだろう?」
「なぜ元は日本を攻め、そしてその後、滅亡していったの?」
「信長、秀吉、家康のキリスト教対策の違いは?」
「なぜ綱吉は極端な動物愛護令(生類憐みの令)を制定したの?」
「なぜ直弼は水戸藩から反感を買うようになったの?」
「どこから薩摩の同郷である西郷隆盛と大久保利通は異なる道を歩んでいったの?」
などなどなど・・・
見終えた後は、ポイント解説授業。
そして・・・
各々お土産を購入。
息抜きに使う!
これを買いました!他にも何種類かありましたが、情報が細かく、高校受験には不向きと判断しました。
勉強の息抜きに、活用したいと思います。
最後は場所を変えて、ランチタイム!!
歴博にはレストランも併設されているのですが、ちょっと離れた名店に行きました。
非常においしく、量もある食事に生徒全員感動していました(笑)
長時間お疲れ様でした!!
今回勉強した内容は、小学生(中学受験生を除く)であれば、今すぐに覚えなくてもいいのでしょうが、中高生にとってはとても重要なことばかりです。
中学校からは、暗記、暗記の連続です。
ただし、教科書に載っている知識を単に暗記するほどつまらないものはありません。生徒たちにはなるべく歴史の背景を説明し、展示品の見どころを優先順位をつけて解説しました。
どこかで役に立つといいなぁ。
今回の復習と、できなかったところの解説を含めて
近いうちに第2回歴史学習会in歴博を実施したいと思います。
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小学生の母 (月曜日, 09 11月 2015 11:14)
「歴史…?(._.)」って帰ってくるかと思ったら「石で叩いて紙を切ったんだって。その次は石を削って鋭くして切ったんだって。」「昔の楽器触れたよ。ジャランジャランってキレイだったよ~」と楽しそうに話してくれました。道具から入ったみたいです。歴博から帰った先生が楽しそうで「私も先生に歴史教わりたいなぁ」と思ったくらいです。歴史の授業が始まる頃、その面白さに気付くのを願ってます。ランチのトンカツは「ボリューム満点で美味しかった」と絶賛でした。今度 家族で行く予定です。ありがとうございました。