夏は入試の天王山
昔から、戦略上の要地となった天王山。なかでも、山崎の戦い(織田信長を討った明智光秀とその仇討ちを果たそうとする羽柴秀吉が戦った)では、この山を制した方が天下を取ることになるとされ、みごと制した秀吉が天下人となりました。現代社会においても、大事な局面の比喩にその名を残しています。
夏は入試の天王山。学習塾挑の夏期講習は始まったばかりです。
さて、その天王山。大阪京都に疎い関東の方は、ぴんと来ない方も多いのではないでしょうか。中学受験や大学受験を控えている生徒はともかく、一般的な中学生はほとんど知らないようです。
天王山から見下ろす山崎合戦之地。
現在の大山崎JCT(写真中央左)あたりを挟んで両軍が対陣したと言われている。〜Wekipediaより〜
天王山の東側に展開した明智勢が、天王山と淀川の間の狭い道を出て来る羽柴方を各個撃破する目的で、秀吉方の先手(中川清秀、高山右近、羽柴秀長らの諸隊)に攻めかかる。しかし、戦いは明智光秀の思い通りには進みませんでした。
天王山の東側には山崎の町があり、その東側には広い沼地が広がっていました。この地形が双方の行動を制約、斎藤利三、並河掃部、松田太郎左衛門らの精鋭を連ねた明智方の猛攻でも、羽柴方の先手を崩すことができなかったそうです(画面右下)。 その間に、淀川沿いでは羽柴方の池田恒興、加藤光泰、木村隼人らの諸隊が進攻、円明寺川の東側にも上陸。川沿いの明智方は手薄で、ここを守る伊勢与三郎、御牧三左衛門、諏訪飛騨守らはたちまち苦戦に陥りました(画面上方)。〜大山崎町公式サイトより〜
天王山ではなかった!!
実際の合戦は、天王山ではなく、天王山の東側の湿地帯で行われ、勝負を決したのは淀川沿いの戦いらしい。合戦の様子を、秀吉が天王山から眺めていただけなのかもしれませんね。
明日は学習塾挑はお休みとなりますが、明後日からは9時30分から授業がスタートいたします。
夏は入試の淀川沿い!?
今後は、このように喩えるべきか検討したいと思います(笑)。
まだ、夏期講習は始まったばかりです。少人数プロ指導学習塾挑の夏期講習については
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